スペース海物語その1
スペース海は平成6年の3月から、不登校の子ども、発達障がいのある
子どもの学びの場としての活動をしています。
19年目に入ったんですね・・・オドロキ!
きっかけは現在の副代表の提案でした。
「新田さん、発達障がいをもつこどもとも関わってみない。」
私は平成3年2月から、不登校の子どもの居場所フリースペース海を
運営していましたが障がいのある子どもと関わる経験はまったくあり
ませんでした。
近くに淑徳大学という福祉系の大学があり、そこには発達臨床研究センター
という、就学前の発達障がいのある子どもたちの療育をするセクションが
ありました。療育機関として、学生をアシスタントに利用して、とても
活発で中身の濃い療育をしていたんですね。
でも、対象となる子どもは就学前の子どもに限定されていたために、
発達臨床研究センターを卒業して、小学校に入学した子どもたちの
療育の場がいつも悩みの種。
「新田さん、発達障がいをもつこどもとも関わってみない。」と言われても
私自身、障害児教育を専門的に勉強したことはまったくありません。
その当時、専門的な知識はまったくありませんでした。
ところが、私に提案した人は「新田さんはだいじょうぶ、真理ちゃんが
いるからだいじょうぶよ」と私を説得しました。
真理ちゃんとは私の長女、真理子です。
重度の知的障がいを持っています。
結局、「障害児教育は専門的にやってなくても、真理ちゃんの子育て
してるんだから、なんとかなるわよ」という、とても無謀な提案は
妙に説得力があって、本当に無謀な試みがスタートしました。
それが平成6年の3月ことでした。
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2012年11月6日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:スペース海